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walking3日目・最近の世に思う。

起きた。ちゃんと6:40に。そんなに自慢する時間でもないものの、
私的にはプレッシャーで夜中起きるほど(どれだけ感受性が強いんでしょ(苦笑))。

そしてウォーキング開始!

昨日の日記で書いたけど、佐藤先生がおっしゃるように
歩いていると、思考が明確化してくる。

そして、10分くらい経つと、疲れたーと思うんだけど、
15分経過すると、疲れない。 ほんとに。

気持ちよく歩いていると、あいさつしてくれる庭で水遣りをしているおばさまや、
交通整理の方などがいて、

気分はBeauty and Beastのベル(笑)。

あの "Bonjour!" "Bonjour"っていう歌が頭をめぐる。

なんて、すがすがしい朝。

身近なところにしあわせはあるんだなと実感。

ところで、けさは、主の祈りというたぶん、プロテスタントでもカトリックでも
一番一般的なお祈りをしながら歩いた。

わたしはあんまりクリスチャンの生活とかその手のものを日記で
書かないで来たんだけど、

最近書くようにしている。

いままで書かなかったのは、変に誤解を受けて「変わってる」と思われたくないから。
(変わっていることも確かにあるので、特に日本の風習と照らし合わせて。
たとえば、わたしは初詣に行ったことがないし、大安や仏滅も気にしない。)

あと、単純にめんどうで。(ごめんなさい)。

でもこの手のことを書く気になったのは、わたしはべつにキリスト教のことを隠して
いるわけではないというのが一つと、

巷ではやっているスピリチュアルブームにあやうげさを感じるから。

別に、そういったものを批判する気はないし、そうであってはいけないと思う。

ただ、日本ってカタチから入るでしょう。

本質的なものを見て、勉強して、最終的に自分のものとして納得し
行動するならいいんだけど、

なんでもブームにして、表面でやっていくあやうさ。

スピリチュアルという対極にあるものでも、「自分」がない場合、
商業的なものにのせられてしまうことも。

見えないものに頼ることは悪いことではない。

不思議なもの、神秘的なものは、存在するし、
大切なもの。

ただ、自分でなく、他に頼るときに、気をつけるべきことは、
あくまで、いろいろなものをみてくれたり、アドバイスくれる人は
商売でお金を取ってやっているということを理解していないと
いけないと思う。

昔、イザヤ・ベンジャミンという人(だったと思う)
が日本人と欧米人(または外国人)についての違いを、

「恥の文化」「罪の文化」と一言で言い表した。

日本人には自然を神と敬う宗教があっても、
基本的には、1つの宗教というものがない(神社、お寺、教会と使い分ける)。
だから、
「人の目をきにする」 恥ずかしいと思うから、悪いことはしない。

神を敬う文化圏では、
「人ではなく、神をおそれる」 罪と罰ってことです(これについてはまた別の機会に)。

日本では、人口密度が狭い国の上、農耕民族であり、人の目をきにするので
村八分なんてことも起きた。

しかし、悪いことばかりでなく、人との協調性を大事にする「和」の心、文化も
育まれた。

ある方が、最近の日本では、特に女性たちが、自分に自信を持ち、
個性を自負し、我侭なキャラがかっこいいみたいな風潮があるが、

それはどうかと思うとコメントされていた。

個性の履き違い、はおそろしい。主張するばかりがいいわけではない。

給食費を払わない親が増えていて、「税金でまかなえばいい。あなたたちで(市の職員)考えてください。」
と責任放棄していたのにも驚いた。

給食費を払えるのに払わない人たちがどうして、子育てをしていて
子供のいない人にまで負担をおしつけようとするのか、へんな世の中。

払えないわけでないのに、というのが、新しい現象だそうで、
専門家は、「世の風潮が、ズルしたもん勝ちになっているから。」と分析。

何か、勘違いしている人たちがいるように思う。
自分勝手な解釈を、権利を主張することに置き換えて、
そこには責任を取るとか、世のため、人のためという考えはない。
(その反面、どうしたらもっと世の中をよくできるかに尽力をつくしていらっしゃる人もいる。)


話がムカムカするほうへ行ってしまった。

戻って、

わたしは、主の祈りをそのまま唱えずに、自分のそのときの出来事、感情
などを入れて祈る。
そのままだと、たぶん10秒くらい。

この祈りは、イエスの弟子たち(失礼だけど、かなりまぬけなことも言う人たち。
「だれが偉いですか?」とか、人間くさい。)

祈りを教えてください、と言ったところ、イエスが答えた祈り方なので、
何年も祈っていて、ほんとうに必要なものはすべて入ったお祈りだなあと思う。

で、今日祈ってて、祈り終えたら、ばったり友達に会った!
その子もクリスチャンでした。
神様って、なんて粋!

脳内からエンドルフィンとかも出てたので、
朝から「キャー!」と盛り上がり、近隣の家の方に迷惑だったかも(反省)。

それにしても、うれしかった。

再び話は戻り、何を信じるか、は人の自由意志に任されているものだと思う。

だけど、多くの人が、スピリチュアルなものに依存したり、逃げたり
でなく、自分の中にも、すぐそばにも、見えないけど
大切な世界が広がっていることを探していって、
自分の人生を自分のものとしていってほしいと思う。

不安からくる何かを、グッズを買ったり人に聞いたことで解消するのでなく
(すべて悪いことではないけど、一時的なので)

そのあとで、自分の中で消化しようとしたり、暖めてあげたり、
場合によっては風通しのいいところに出してあげて、

時間がかかることもあるだろうけど、
(人生の悩みや謎がいっぺんに解けるわけではない)

間違っても、テレビのあの人が言っているから、とか
あの本で、こうすればOKとあったので、と鵜呑みにしないでほしい、
それは合うかもしれないし、合わないかもしれない。

たとえば、わたしは細木和子のキャラがきらいではないし、
彼女の言うことに常識を感じるけど、いった事すべてが正しいとは思えない
こともある。 

わかりやすいことは、みんな好きなんだけど、人間そんなに単純ではないと思う。
by megtig | 2007-01-29 12:58 | 思ったこと
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